薬局経営者に聞く:独自の「極小ドミナント」戦略で地域に根下ろす(3/4)
地域活動の先に在宅医療、専門薬剤師の育成にも注力
- ─そうした地域活動が在宅医療事業にもつながっている。
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【岡村】地域活動の先に、ゆくゆくは在宅医療に参画したいという思いが強くありました。事業を推進するため、専門の部署となる「在宅事業本部」を立ち上げ、今では8割近い薬局が在宅訪問を実施し、処方薬の説明や管理などを行っています。また、急な病状変化に対しても、医師をはじめ、看護師、介護スタッフと連携し、緊急対応可能な体制を構築しています。
診療所の開業支援を手掛ける社内の開発事業本部とも連携し、在宅医療をにらんだ開業に向けてのサポートも展開しています。まず市場調査をして、在宅圏内が医療機関から16キロ以内の範囲であることからエリアを選定する。そして、ケアマネジャーや施設への周知を経て、実際に訪問診療がスタートしたら信頼の獲得に注力しながら、安定した患者紹介ルートの確保へとつなげています。
2024年1月には、福岡県春日市に、在宅対応を前面に打ち出した「タカラ訪問支援薬局春日」を開設しました。無菌室やバイオハザードに対応した設備を備えており、在宅医療にともなう処方箋を応需していきたいと考えています。
在宅医療については、パートを含め全薬剤師に経験してもらいたい、そこまでの思いで取り組んでいます。

- ─専門薬剤師の育成にも力を入れたいと。
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【岡村】がん、認知症、アレルギー、漢方、災害など、専門領域の薬剤師を育成しようとする動きが活発化しています。自身で興味がある分野に特化した薬剤師になってほしいですね。当社としても、志ある薬剤師には支援の手をさしのべていきたい。そして、それが薬剤師としての評価につながるような社内の仕組みも考えていきたいと思っています。
また、診療科別に各薬局を横串にするような形でチームをつくり、その診療科についての学びを深掘りできるような体制を構築したいというプランも温めています。
災害支援で現地入り、能登では災害処方箋の流れ整備
- ─このところ自然災害が少なくありません。社業を離れ、いち早く被災地に出向き、現地の薬局薬剤師らを支援する岡村さんの活動が目立ちます。
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【岡村】熊本地震は、ちょうど私が社長に就任した2016年の出来事でした。このときは日本薬剤師会の派遣薬剤師として現地入りしました。
2024年の元旦に発生した能登半島地震では、日本保険薬局協会(NPhA)からの派遣薬剤師として1月9日に単独で輪島地区に入り、16日までの9日間にわたり支援活動を継続しました。チームとして支援に向かったほうが力になれたのかもしれませんが、現地の石川県薬剤師会では支援薬剤師の不足でシフトも組めない状態だったので、一人でも早く現地入りすることが先決と判断しました。

- ─能登ではどんな活動をされたのですか。
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【岡村】輪島地区では石川県薬の役員の方がDMATとの調整を一人で行われていたので、その業務を引き継ぎました。その頃、市立輪島病院の周辺にある2軒の薬局はDMATが発行する災害処方箋を応需していたのですが、近くモバイルファーマシー(MP)が投入されるという情報があり、それら災害処方箋をどのように薬局とMPに振り分けるかなどのルール作りに携わりました。従って、私自身の第一の役割は、災害処方箋の流れを整えることと同時に、グループLINEを作って、DMATや日本薬剤師会、後続のメンバーへ、刻々と変化する情報を共有することでした。二つ目は、集積所の確保と支援物質として厚生労働省からOTC医薬品のセットが届いたので、それを避難所に配布し説明する役割でした。
石川県薬の役員も自局での勤務があるので、司令塔が不在になることもあります。そのため、OTC医薬品が不足している避難所や気になる点を確認し、そのあとにやってくる支援チームとそれらの情報を共有しました。必要に応じて災害処方箋へとつなげる役割と、司令塔不在日の調整業務に追われました。
石川県から戻った翌日の17日、私はNPhAの災害対策委員会で現地の報告をしたのですが、その時点で2月末までの派遣チームのシフト表が完成していました。薬局薬剤師が一丸となって発揮する行動力には、驚くと同時に、感謝の気持ちで一杯です。