(2024年4月1日掲載)
医師として生き抜いていく!
そう決意する前にALS患者は、気管切開をして人工呼吸器をつけて生きていくかどうかの大きな決断をしなければいけません。
私は2016年4月にALSと確定診断されてからすぐに、前を向いて行動できたわけではありません。少しずつ、その病名を受け入れながら、自分の将来のビジョンを描いていきました。そのなかで避けて通れないのが、気管切開をして人工呼吸器をつけて生きていくか、人工呼吸器をつけずにモルヒネなどを使って、鎮静や鎮痛を図りながら自然経過を見ていくのかを選択することです。
当時の私は34歳です。結婚して2歳の息子もおり、家庭も仕事も順調で「まさに人生これから」というときでした。とてもではありませんが、あと数年で死んでしまうかもしれないという事実は受け入れられず、「生きたい!!」という気持ちしかありませんでした。
ただその一方で、「生きる」という選択肢はこれから先、家族に負担をかけ続ける、という選択肢でもあります。
妻はALSになる前もなった後も、変わらずに私をサポートし続けてくれています。私が「生きたい」という気持ちを素直に妻に話したら、妻はサポートすると言ってくれるでしょう。ただそれが妻にとっての最善の選択なのだろうか? 妻の幸せを考えたら、私のそばにいることが果たして良いことなのだろうか? そんなことを考えていたら、気管切開をして人工呼吸器をつけるか否かの話し合いがなかなかできずにいました。しかし、いつかは夫婦で話し合わなければいけない問題です。しかも、これからのお互いの人生設計を立てるためにはなるべく早く話したほうがいいと思い、ALSと確定診断されてから約半年後に、妻と話し合いをしました。
私は診断されてからずっと「生きたい!!」、そして「できれば家族と一緒にいたい…」と思っていました。
しかし、妻のことを思うと自分の本心を素直に伝えることができず、なんて話をきり出したらいいかわからずにいました。いろいろ考えたあげく、唐突に、妻に「○○(妻の名前)が俺の立場でALSと診断されたら、人工呼吸器つける?」と何とも男らしくない、遠回しに相手に答えを委ねる疑問形で聞いてしまいました。
妻は一瞬驚き「うーん」と言った後すぐに、「私だったら人工呼吸器つけるかな。だってまだ死にたくないでしょ」「あなたは最初から人工呼吸器つけるって決めてると思ってたよ」と言いました。
1分もたたずに話し合いは終了しました。
今まであれこれ考え、悩んでいたことがすべて解決しました。妻は私が話し出すずっと前から、私と共に生きていくことを決めてくれていました。ただただ嬉しかったです。あらためて妻の強さと愛情の深さに感謝し、それと共に全力で生きることを決意しました。
私は医師です。今まで医学の勉強しかしてきませんでしたし、この仕事が天職だとも思っています。今(ALSを発症してから1年過ぎた頃)はまだ右腕が動かないくらいで、左腕は動かせますし、歩くこともできるし、声を出すこともできます。ただ今後、どんどん症状が進んでいくことはわかっています。臨床医として働けるのも、あと1年が限界だろうと思っていました(実際には周りの人たちのサポートのおかげで、あと2年も現場で働けました!)。
それでも、たとえ両腕、両足が動かなくても、声が出せなくなり臨床医として働けなくなっても、死ぬまで医師として働きたいと強く思っていました。
今後の自分の状況を考え、在宅でも医師として働ける形態を模索するなかでまず思いついたのが、オンライン診療でした。しかし、厚生労働省のオンライン診療のガイドラインでは“医師-患者間でリアルタイムで動画を用いて対面しながら診療を行うこと”と記してあり、人工呼吸器をつけて声も出せない状況でリアルタイムの対面診療は難しく、これは断念しました。
次に思いついたのは「画像診断」でした。例えば、放射線科医はCTやMRI画像の読影を病院だけではなく、自宅などの遠隔から行うこともできます。このように皮膚科医も、患部の画像を見て診断できないか考えました。
しかし、患部の画像は最も重要な情報ではありますが、皮膚科医はそれだけで確定診断しているわけではありません。今後発展させていく余地はありつつも、今すぐに画像だけで診断し、それを仕事としてやっていくのは難しいと考えました。
画像を使わずに、「患者さんからの皮膚科領域の医療相談」という形も試してみましたが、結局当たり障りのないアドバイスしかできず、本当に患者さんの役に立っているのか? という疑念が残り、私のやりたい医療はできませんでした。
そして最終的にたどり着いたのが、「医師-医師間での画像と問診票を用いたコンサルト形式の診療」でした。