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第1回:“まず現場に行き、話し、見て、触って”をポリシーに新たな挑戦


    個々のつながりを基盤に、地域を支える多職種体制づくりも積極的に推進(全3回)

    星 利佳 氏
    有限会社メディカ ほし薬局(山形県新庄市)/代表取締役

    第1回:“まず現場に行き、話し、見て、触って”をポリシーに新たな挑戦

    星氏は、「まず行ってみよう、しゃべってみよう、見てみよう、触ってみよう」がポリシーだと話します。実際、「相手側」を知りたくて、2000年の介護保険制度創設に先立つ1998年に、介護支援専門員(ケアマネ)の資格を取得しました。2000年開設の新庄店では、ケアプラン作成に携わるものの、肝心の薬剤師としての在宅医療への依頼は広がらず、当初は年に1人くらいだったといいます。第1回では、在宅医療に取り組み、他職種との連携を深めてきた経緯などをうかがいました。

    そもそものきっかけは、在宅に熱心な一人のドクターとの出会いから

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    有限会社メディカ ほし薬局(山形県新庄市)代表取締役 星 利佳 氏

    私は大学を卒業後、仙台市内の薬局に就職しました。ちょうど仙台市内でも分業が始まった頃でした。処方箋応需にあたり、病院側の状況を知りたいと思っていたところ、縁があり病院に入職しました。その後、実家のある山形に戻り、新設の調剤薬局に勤務しました。

    隣接する病院の理事長先生が在宅医療に取り組んでいましたが当初は知らず、家族がバタバタと薬を取りに来る曜日があったので、「ご本人は診察に来ないの?」と尋ねると、その理由が往診だったのです。私は先生に、「どんな人が薬を飲んでいるのか見てみたい」と話すと、週に2回、訪問同行させてもらうことになりました。そこで初めて胃婁の管理やMRSAに対する殺菌の現場などを見て、家族からも様々なことを教えていただきました。

    私は、「こんなことも知らずに、只々、薬を渡していたなんて・・・」と思い、実際に在宅医療に取り組んでいる薬局を探し、見学し、事務手続き等も教わり、社長の許可を得て、その先生の患者を担当することになりました。すると先生の患者さん全員の処方箋を出してきたので、一気に100人になり、私が薬局に居ない状態になりました。その後、介護職のことを知りたくて1998年にケアマネの資格を取得、一期生だったこともあり、多くのケアマネとのつながりがその時点で出来ました。同じ頃、縁があって独立開局したのですが、それを機に環境は一変し、一時期、在宅医療との関りが途切れることになりました。

    独立後は「訪問看護師が居れば十分」との環境からの出直し

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    店舗外観写真

    その後、山形県立新庄病院が院外処方箋発行に踏み切るのを機に、新庄店を開設しました。当時、往診する先生も若干いて、ケアプランを細々と作りつつ、他のケアマネや訪問看護師ともつながりができました。しかし、当時は「訪問看護師が居れば十分に成り立つ」と言われるような時代でした。それでも、薬のことは口出しして、次第に訪問看護師からも「褥瘡で何を使ったらいい?」「痛みが出ているので、そろそろ医療用麻薬かしら?」といった相談を受けるようになりました。

    新庄店では往診する先生がそれほどいなかったため、在宅をやりたくてもどこからも指示が来ませんでした。そこでケアマネとしてケアプランを持っていきつつ「先生、この方、そろそろがん性疼痛が始まっているので、オピオイド導入を考えられませんか?」などと提案し、「それは星さんがやってくれる?」と言われれば、「もちろんやります!」と即答していました。まずは「医療用麻薬の患者は、ほし薬局」と先生へ刷り込みをする、長い長い日々が続きました。当初は年に1人くらいの訪問服薬指導の依頼でしたが、一人ひとり丁寧に対応しました。

    そういう積み重ねで、段々段々、依頼が増えてきましたが、概ね5年くらいかかりました。その後、なかなか訪問依頼が増えなかった時期にケアマネとの連携研究事業があり、これが起死回生の一手となりました。

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