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薬局経営者に聞く:調剤併設ドラッグを1㎞ごとに出店、半径25㎞圏内に75店舗(2/4)


調剤報酬の削減予想しマンツーマン薬局の出店停止

社長に就任されたのは2003年でした。この間、最も苦労されたことをお聞かせください。

【平野】事前に質問項目をいただいていましたが、この設問を見て正直に言って「困ったな」と思いました。というのも、苦労したことは社長就任前にほとんど片付けてしまっていたからです。社長に就いてからちょうど20年が経ちましたが、例えば、今、お話しした全店の薬歴共有に加え、週1回発注・納品方式の導入も社長就任前でした。いずれの試みも、当初は誰も理解してくれませんでした。薬歴共有に対しては現場のトップから、「薬剤師は目の前の患者さんのことに集中していて、他店における薬歴まで気を配っていたら目の前にいる患者さんへの対応が疎かになる」とまで言われました。週1回発注・納品に対しても、社内からは「在庫量が増える」とか「欠品が増加する」という声が圧倒的でした。しかし実際に導入してみると在庫も欠品も減りました。

1996年、私は営業本部長に就きました。その際、最初に宣言したのが、「マンツーマン薬局の出店を停止する」ということでした。当時、弊社はドラッグストアがまだ1店舗もなく、マンツーマン薬局が10店舗程度、10~15坪の薬店が7店舗という業容でした。ただし売上高と利益の99%はマンツーマン薬局が生み出していたにもかかわらず、「出店停止」と発表した。無論、これにも社内から大反対の声が一斉に上がりました。その代わり、ドラッグと調剤を併設する方針を打ち出しました。当時、ドラッグストアが1軒もなかったにもかかわらず、調剤併設型ドラッグストアの展開を宣言したわけです。しかも、調剤専門薬局ならば3000万円ぐらいで新店を出せましたが、ドラッグストアは億単位です。

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株式会社サンキュードラッグ(福岡県北九州市) 代表取締役社長 兼 CEO 平野 健二 氏

それでも私が敢えてマンツーマン薬局の出店停止を決断したのには、理由がありました。国が医薬分業を進めた背景には、第一に医師と薬剤師が関わることでダブルチェックの仕組みを導入することがありました。ただし、それだけではなく医療費抑制の狙いも大きかった。ということは、いずれ診療報酬は圧縮されていく。隣接する診療所からしか処方箋が来ない薬局は、土台が揺さぶられることになる。だからこそ、将来、経営が傾くことが分かっている薬局は作ってはならない。簡単な理屈です。ましてや、診療所のライフサイクルは30~40年です。マンツーマンでスタートしながら30年後、「儲からなくなったので薬局を閉めます」と、診療所の医師に言えますか?言えませんよね。だったら、そんな商売は始めること自体が間違っている。即ち、地域医療を支えるという意味において、継続できるビジネスモデルを確立しなければならないというのが、当時の率直な気持ちでした。

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株式会社サンキュードラッグ(福岡県北九州市)
1996年にそれを見抜いたのは慧眼ですね。

【平野】当時は、誰も理解してくれず、「馬鹿なこと言うな」という雰囲気でした(笑)。その年に、新たな方針に基づいて小型の調剤併設型ドラッグストアを2店舗、出店しました。立地が診療所の隣でしたので大繁盛したのですが、そんなに都合の良い土地が幾つも空いているわけがない。そのため、そのモデルはいったん終了し、回り道を承知の上で、2000年に病院門前薬局を開発しました。この年に北九州市で5施設の市立病院と2施設の労災病院、産業医大病院が一斉に院外処方箋の発行を始めました。その際、それまでの私の考え方と矛盾することを承知で、6軒の門前薬局を出店しました。敢えて作ったのです。大型病院前の門前薬局は、いずれ衰退していくだろうとの読みはありましたが、それでも開設したのは、薬の備蓄を増やしたかったからです。同時に、薬剤師の数を増やしたかった。いずれ、これらの薬局に備蓄センターの機能を持たせたいという考えもありました。

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