2023/12/27

Maruho Arts
-受け継がれる「生命(いのち)」への想い-

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わたしたちマルホは、1915年の創業以来、製薬企業として高い品質の医薬品を生み出し、
真に必要とする患者さんに提供することで、多くの笑顔を届けてきました。
またマルホには、従業員である私たち自身の心を美しく豊かなものに育てるため、
歴史的なモニュメントやアートを数多く展示・保存しています。
形や創られた時代、作者はさまざまですが、
共通しているのは「生命(いのち)こそが、マルホの価値の根源」という想い。
この想いは芸術作品と姿を変え、言葉だけでは表しきれない大切な価値観として
経営理念をはじめ、さまざまなかたちでわたしたちに受け継がれています。
作品の一つひとつに込められた想いを、背景とともにご紹介します。

「生命(いのち)」への想い

(左)昭和万葉俳句集(1985年)「終戦」にまつわる句をまとめた俳句集です。
マルホの礎を築いた当時の代表取締役社長で俳人でもあった高木二郎は、太平洋戦争を経て「生命(いのち)こそが何よりも尊い」と考えるようになりました。
終戦から40年後の1985年、この想いを後世に伝え残すべく、新聞広告を使い全国から俳句を募集したところ、実に10,000を超える句が寄せられ、そのすべてを「昭和万葉俳句集」として1冊におさめました。
1945年8月15日に玉音放送が流れる情景、いつまでも帰らない家族を待つ時間、それでも子どもと生きていかなければならない必死さ-風化させてはいけない記憶の数々が、17音に記されています。

(右)昭和万葉俳句前書集(1988年)「昭和万葉俳句集」におさめられた句のうち、約4,000句の前書(句の前に添える説明)が収録されています。前書によって、作者が句に込めた想いや情景、詠まれた風景がさらに鮮やかに浮かび上がります。

子守唄 -いのち- (1997年)/ 中村晋也 彫刻家の中村晋也氏が、戦後まだ貧しかったころの日本の情景を想い創作したブロンズ像です。1997年にマルホが本社を現在の大阪市北区中津に移転したと同時に設置されました。
小学校低学年ぐらいであろう少女が田畑で働く母親の代わりに弟妹を背負い、子守をする姿。風車であやす少女の表情に、いのちの大切さと、貧しさに負けない明るさが込められています。

仕事を通じた心豊かで満ち足りた人生への想い -彦根工場(滋賀県)

彦根工場は、1972年にマルホ製品の生産拠点として竣工しました。“庭園の中の工場”をコンセプトとしていて、東京ドームとほぼ同じ面積の広大な敷地にさまざまな作品が点在しています。

(左)心 (1971年)/ 空充秋
(右)句碑「老鷺が石の心を抜けてくる」 / 高木青二郎

彦根工場の竣工記念として、工場の建設をはじめマルホに関わっていただいた多くの方々の温かい心を忘れないようにと庭園の中心に置かれました。

独創的な石組みには、作者の平和を願う心が込められています。
また手前の石碑には、作品を見た高木青二郎(高木二郎の俳号)が心に感じたことが、句で記されています。

(左から)
心が上に開いた石の彫刻、心が下に開いた石の彫刻(1974年)、受ける心(1980年)/ 上田弘明
彦根工場の第二期工事を記念して、前庭に3つの石彫が配されました。生涯をかけて石を刻み続けた彫刻家・上田弘明氏の作品です。
多くは語らずとも、作品に込められた強く確かな意志が伝わってきます。

明日守地蔵菩薩(あすもりじぞうぼさつ) (1977年)/ 松居孫太郎

前庭の石段を上った先に、地蔵尊がたたずんでいます。名前の由来でもある喘息治療の薬「アストモリジン」は、ドイツのDR.KADE社を通じて1922年より日本で発売され、60年近くにわたり多くの患者さんに貢献し続けました。発売終了にともない、その功績を讃えるため、また薬霊を供養するために、従業員の浄財によって建立されました。
現在も『地蔵盆』として年に一度、従業員が祈りをささげています。

赫と蒼(あかとあお) -いのち- (1979年)/ 池田正三高さ9m・幅6mの巨大な壁画。彦根工場の第三期工事の竣工を記念して設置されました。イタリア・トルコのモザイクタイル80種が使われています。
赫は人間的な成長、蒼は人間の内面的な深さを意味していて、2色のバランスによって人間の生命の根源に奉仕するという自覚が表現されています。

ベルリンの壁 (1990年)/ DR.KADE社より寄贈

世界的な遺産、ベルリンの壁。1961年8月、それまで東西ドイツの往来が自由に行われていたドイツ・ベルリン市内を分断するため、東ドイツによって建てられました。この長さ155kmにもおよぶコンクリートの境界線は、ドイツ分断の象徴であり、東西冷戦の象徴でもありました。1989年11月、東ドイツ側からの国外渡航規制緩和をきっかけに殺到した市民によって破壊され、崩壊を迎えます。

壊された壁のうちの一枚は、生命の尊さと戦争のない社会、自由への想いの象徴として、1990年6月、長年マルホと提携関係にあり、ベルリン市に本社を置くDR.KADE社より寄贈されました。
この壁は、当時の主要連絡路「チェックポイントチャーリー」から28番目の壁となり、現在はマルホの工場の社屋の一角で、西に向けて建てられています。

Buddy-Bär (2003年)/ DR.KADE社より寄贈DR.KADE社とマルホが直接的な提携関係を結んでから80年を迎えた2003年、長年の友好関係を記念して同社より寄贈されました。DR.KADE社の薬「アストモリジン」を輸入したことに始まった両社の関係は、第二次世界大戦中の困難な時代も途切れることなく継続し、今もなお堅い絆で結ばれています。

Buddy-Bärは、ベルリン市のシンボルとして親しまれていている熊をモデルに、「お互いをもっとよく知ろう、そうすればお互いをもっとよりよく理解し、信頼しあえる」というコンセプトのもと生まれました。

着用しているサスペンダーの一方にはDR.KADE社、もう片方にはマルホのロゴが手描きで描かれています。

モビラートのモニュメント (2007年)/ 北島哲多くの変形性膝関節症の患者さんに貢献した医薬品「モビラート」の功績を讃えて創られたモニュメントです。
ガラスが持つ清潔感と透明感により、昼夜でまったく違う表情を見せます。
「緑」が安らぎと追悼、「朱」は躍動と繁栄、「青」は未来への飛翔を意味しています。

人生や幸福について考える -立山製薬工場(富山県)

語らい (1991年)/ 土田隆生

マルホの3番目の生産拠点として設立された立山製薬工場株式会社にもモニュメントが存在します。彫刻家・土田隆生によって創られた3点の彫像から成る作品群です。
それぞれが「アルウィン・ニコライの陽 - 眩鷲(げんきょう)」「眩鷲Ⅱ」「風韻(ふういん)」の名を冠し、現代社会の不安と緊張感を、揺れる大地と倒れかけた人間の姿で表現しています。
実は作品としては未完成で、台座に人が座ることでバランスが取れ、初めて完成します。

新薬創造の拠点で見守り続ける -京都 R&D センター

ミゼレーレⅡ “祈り” (1998年)/ 中村晋也

マルホの研究開発拠点である京都R&Dセンター医薬開発研究所のエントランスに佇むブロンズ像は、作者の「ミゼレーレ(救い給え)」の祈りを象徴するシリーズのひとつです。
背景のステンドグラスには15のモクレンの芽が施されていて、マルホが新薬を開発するごとにその花を開かせ、銘板に日付と製品名、マルホのMから始まる研究開発番号が刻まれます。
現在は10輪のモクレンの花とともに、従業員を見守りながら全人類の健康への貢献を祈り続けています。

季のきらめき (2006年)/ 田村能里子

創剤技術研究所のエントランスに、全高11mにわたる大きな壁画が設置されています。
「壁画はその場に溶け込み、創造性の源になることに価値がある」として、世界的画家・壁画家である田村能里子氏によって描かれました。
包み込まれるような慈愛、風に揺らめく美神の優しいまなざし、大地を舞台にした大画面の迫力に加え、細部に隠された小さな遊び心が見る人を惹きつけます。
完成から17年を超えた現在も、研究所で働く従業員を見守り続けています。

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