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薬局経営者に聞く:本部長の半数以上が女性、今後、女性管理職を5割に(1/4)


2020年10月、柄澤忍氏はクオールの代表取締役社長に就任しました。1996年、クオール薬局ちどり店(東京都大田区)に、パート薬剤師として採用されたことが、柄澤氏の薬局薬剤師人生のスタートでした。その後、一貫して現場畑を歩み、「薬剤師の仕事が好き」と自身の気持ちを率直に明かします。
現在、同社は女性のライフイベントを支える取り組みを積極的に展開しています。それは何も、女性従業員を対象にしたものだけに止まらず、地域に住まうお母さん方を支える活動に大きく広がっています。ジェンダー平等が叫ばれる昨今、既に同社の本部長の半数以上を女性が務め、今後、女性管理職を5割まで高める意向です。

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クオール株式会社 代表取締役社長 柄澤 忍 氏
クオール株式会社
代表取締役社長 柄澤 忍 氏

1996年、パート薬剤師として採用

三重県のご出身ですね。

【柄澤】尾鷲市で生まれ育ちました。両親ともに薬剤師で、父は公務員、母が小さな薬局を営んでいました。薬剤師という仕事が身近にあったものですから、自然と薬剤師を志すようになり、愛知県の名城大学薬学部に進みました。大学卒業後は地元の病院に勤めました。この病院には素晴らしい先輩がいらっしゃいまして、薬剤師としての基礎をみっちり叩き込まれました。医療者としての心構え、調剤に関するテクニックなどあらゆることを教えてもらい、一生、薬剤師として仕事を続けて行こうと気持ちを固めたのも、この病院勤務でした。それまでは、「結婚して仕事を辞めることもあり得るかな」などと、曖昧な考えが浮かんでは消えたりしていましたが、この先輩薬剤師の指導のお陰で、腹が座りました。ただ、結婚で一旦は仕事を離れ、三重県津市に転居したため津市にある病院に勤務した後、東京に来ました。ちょうど、上の子どもが幼稚園に通っていまして、下の子は2歳になる頃でした。当時、お付き合いしていた二人のママ友が、「薬剤師の免許がもったいないから働きなさい。下の子を保育園に預ければ、上の子の通園は私たちが交代で面倒を見てあげる」と言うのです。二人のママ友のご自宅と、私の家がちょうど三角形の位置関係にあり、その真ん中にクオール薬局がありましたので、募集もしていないのに電話を掛けたのです。それがクオールとの出会いで、そのままパートとして勤め始めました。1996年のことです。

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クオール株式会社 代表取締役社長 柄澤 忍 氏

実際に働き始めますと、病院勤務で芽生えた医療に従事し続けたいという想いが、すぐに蘇ってきました。それまでは病院勤務しか経験していませんでしたので、患者さんとの距離が近い調剤薬局がとても新鮮でした。当時の病院薬局は、どちらかと言えば薬を調製・監査しお渡しすることが主たる仕事でしたので、症状をお聞きしアドバイスや服薬指導を行うことに、非常にやり甲斐を感じました。
当時、社長だった中村勝(現クオールホールディングス会長)が、社員向けの勉強会を頻繁に開いてくれていました。しかも、パート薬剤師でも参加しても構わないという開放的な社風にいたく感激しまして、正社員として迎い入れていただきました。

初めて勤務された薬局は、今でも営業されているのですか。

【柄澤】もちろん。東京都大田区にあるクオール薬局ちどり店です。クオールとしては3店舗目の薬局でして、1999年に正社員になる際には、中村勝の面接を受けました。まだ、会社が小さかったものですから、社長面接が行われていました。

その後、2010年に執行役員になりましたが、事業部長でしたので現場のまとめ役でした。2015年に上席執行役員に就いた際も事業本部長ですので、現場畑をずっと歩いてきたことになります。薬剤師の仕事が好きでしたし、今でも好きですので、現場と長く接してこられたのは幸せでした。先ほど申し上げたように、薬剤師の仕事に就いたきっかけは両親が薬剤師だったというだけのことでして、人様の病気を治したいなどという崇高な志があったわけではありません。自分に合った仕事に巡り合わせてくれた両親には、その意味でも感謝しています。

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クオール薬局ちどり店
クオール薬局ちどり店

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