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薬局経営者に聞く:患者に寄り添う薬剤師の心を守り、 様々な連携を通して、地域で選ばれる薬局になりたい(1/4)


岐阜県岐阜市に本社を置くたんぽぽ薬局は県内外に2022年5月末時点で、147店舗の薬局を展開しています。展開エリアは中核となる東海はじめ北陸、関西、四国地域に及びます。2017年以来、同社を率いてきた松野英子氏は、地域と繋がることなくして薬局の価値は向上しないと断言します。地域包括支援センターへの訪問や、社会福祉協議会での健康イベント、各地域の薬剤師会との連携、骨髄バンクへの寄付活動等を通して、薬局の価値向上を目指しています。

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たんぽぽ薬局株式会社 代表取締役社長 松野 英子 氏
たんぽぽ薬局株式会社
代表取締役社長 松野 英子 氏

自分の意思で選んだ職場がたんぽぽ薬局

薬剤師になろうと思われたキッカケから、お聞かせください。

【松野】特段、これと言ったキッカケはないのですが、敢えて言うならば、母親の最も親しい友人が薬局を営んでいまして、その薬局にしょっちゅう遊びに行っていたことが挙げられます。薬局薬剤師という仕事があるのだ、ということを知りました。ただ、どうしても薬剤師になりたかったわけではありません。大学受験はいろいろな学部を受けましたので、行きたかった学部の一つが薬学部だったということです。
京都薬科大学を卒業し、生まれ故郷の愛媛県今治市に戻りました。地元の病院に3年間勤務し、結婚しました。夫の仕事の都合で静岡県浜松市に引っ越し、ドラッグストアや診療所で働きました。当時から薬剤師不足でしたから、夫の知人に頼まれるままに3カ所の職場を転々としました。
その後、夫がベルギーに留学しましたので、3年間、首都ブリュッセル近くの町で過ごしました。その頃は、「今後、薬剤師の仕事には就くまい」と考えていました。当時の薬剤師の仕事は医療の中心ではないと思えたからです。医療を司るのは医師であり、看護師であることがよく分かりましたので、「医師が無理なら看護師の資格を取りなおそう」という気持ちで、ベルギーから帰国しました。その後、夫の都合で岐阜に来たのですが、資格取得にむけた勉強のための資金も必要だとの思いもあり、今度も「何とか手伝ってくれ」と頼まれて、医薬品等の安全性や有効性を非臨床試験で評価する会社で働き始めました。しかし、「自分の意思で働きたい」という気持ちが抑えられなくなり、仕事を探し始めたときに、「たんぽぽ薬局」という会社が目に留まったのです。「薬剤師の仕事はしない」と決めていたのに、もう一度、なぜか薬剤師の職場が目に飛び込んできたのです。良い先輩の元で、本当の薬剤師の仕事を教えてもらいたいとの思いもあり、入社を決めました。1996年のことで、1店舗目の薬局がオープンする前の時期でした。
ですから、初めて自分の意思で選んだ職場がたんぽぽ薬局でした。設立に伴う募集であるので、出来る先輩が必ずいるという期待感も大きかったことを覚えています。実際には、どんな先輩がいようとも、自分自身が一所懸命に勉強し、失敗したり悩んだりしないと成長は無いものだと、経験を積む中でわかってきた事です。

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たんぽぽ薬局株式会社 代表取締役社長 松野 英子 氏

ドラッグストア時代は手計算で保険請求

パートで入社されたのですか。

【松野】本当は正社員として働きたかったのですが、ベルギーを行き来しなければならない用事がまだ残っていましたので、パートとして勤め始めました。ベルギーに行くたびに休暇を取っていては申し訳ないという気持ちがあったものですから、パートで雇ってもらいました。ただ、気持ちだけは正社員でしたよ(笑)。
1996年当時、岐阜県の分業率は8%台でしたので、県内では「調剤薬局」という業態が、まだ珍しい時代でした。浜松のドラッグストアで調剤を担当していましたのでドラッグストアのことは理解していましたが、調剤薬局は全く分からない。ですから、「知りたいな」という気持ちもありました。今から26年前ですから私も若かったですし、教えてもらえれば知らないことも吸収できると期待していたのですが、入社した者すべてが同じ思いだったのです。そのため、全てを自分たちで作り上げていかなければならない職場でした。全員で切磋琢磨して、何度も話し合って、様々な仕組みを作り上げていった事を覚えています。その薬局が今もある長良八代店(岐阜市)です。この店舗が弊社の原点です。私は、ドラッグストア時代は保険請求を手計算で行っていましたので、おこがましくも私が保険点数の仕組みなどを教える立場になってしまいました。

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たんぽぽ薬局株式会社

今から四半世紀前ですから、医薬分業に前向きな医師は少数でした。しかし、院外処方箋を発行するクリニックの前に出店できれば、処方箋のほぼ100パーセントを応需することができました。ですから、会社の成長力には勢いがありました。一方で、患者さんには処方箋を持って薬局に来て頂く必要がありますので、その行動を説明することに大変な労力を使う時代が長く続きました。しかも、院内で薬を受け取るより自己負担が増しますので、その説明にも時間を取られました。患者さんにはよく怒られていましたね。それでも、この薬局が好きだからと来て下さる常連の患者さんたちに、私たちは救われてきたと思います。
それから長い期間、現場に出ていました。研修部で指導業務を行うようになってからも現場に行っていました。どのような服薬指導が患者さんの利益に通じるのか、ということばかり考えていました。私自身は学術肌ではけっしてありませんが、学術大会に参加しながら、発表者のような人材を育てていかなければならないことを、教えてもらいました。

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