マルホレポート2023
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Maruho Report 202361925年アメリカ式の薬局「マルホファーマシー」を大阪に開局1939年株式会社マルホ商店を設立1940年生産拠点として工場を建設1943年戦時下による統制で一時的に解散1949年株式会社マルホ商店が再開1951年「いのち」の源である健康に奉仕1950年に入社した高木二郎は、翌年に代表取締役社長としてマルホのすべてを託されました。高木は、大戦の経験から「生命(いのち)」の価値を真摯に考えるとともに、企業の公共性を追求し、戦後の困難に満ちた時代を切り抜け、今もマルホに根付く「信念」を遺しました。1952年ばね事業に進出戦後の不安定な経済環境の中でも事業を継続させるため、国内生産が可能なばね事業に進出しました。1954年にマルホ発條工業株式会社を設立し、以来70年以上にわたり、マルホのグループ会社として緊密な協業関係を維持しています。安定した製品の供給適切な情報提供1965年マルホ株式会社に社名変更1972年彦根工場(滋賀県)を竣工1997年本社を現所(大阪市北区中津)に移転1998年研究機能を京都リサーチパーク(京都府)内に集約(現 京都R&Dセンター医薬開発研究所)外用剤の製剤技術1930年〜医薬品を患者さんに確実に届けるためにより安定した供給網を構築するため、医薬品の国内生産に注力していました。1931年には咳止めシロップ「コフ舎利別」、翌年には蚊よけクリーム「モスキトン」として輸入品の国産化に成功し、人々の日常生活を支えました。1950年〜整形外科・外科・皮膚科における着実な成長喘息治療剤の「アストモリジン」、痔疾治療剤「強力ポステリザン(軟膏)」や関節の炎症の治療剤「モビラート軟膏」、関節軟骨保護剤の「アルテパロン」など、優れた医薬品を整形外科・外科・皮膚科に対し適切な情報提供活動によって定着させることで、着実な成長を遂げました。1990年〜製剤技術を駆使して新たな成長ステージへ「ヒルドイド」に皮脂欠乏症の効能・効果を追加し、皮膚保湿剤として発売しました。ライフスタイルの変化に伴いスキンケアの重要性が高まる中、今もなお多くの患者さんに貢献する製品に成長しました。

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