昭和万葉俳句前書集
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基示都福生市熊川橋本 勝男(紫風)少尉殿、戦が終わりました。やせ細った髭面の兵の頼に涙が光っていた。南海のニューギニアでの終戦。生きて再び日本の土を踏んだあの時の嬉しさは生涯忘れられるものではない。悲惨な戦争はもうごめんです。平和こそが人類が望む宝なのだ潮騒に春の夢あリニューギニア茎示都中野区上鷺宮松林 和喜夫(露橋)昭和二十年八月十五日当時小生は、東部ニューギニア、セピック河流域のカマンガウエという原住民部落に四面米濠軍に包囲せられ、玉砕寸前の状態でマラリアと栄養失調のため、明日をも知れぬ運命の糸を見つめながら、軍務に就いていました。終戦により辛うじて生き残り、復員して来ました。当時の職業第四航空軍第十二野戦気象隊陸軍曹長。死屍幾万の戦い空し雷火燃ゆ茎泉都八丈島八丈町谷島 定雄(さたを)昭和二十年八月十五日当日は、 ニューギニア島ウェワク付近にあり、密林をさまよいつつ明日の命も分からず、現在、生きてあるが不思議。夜半の冷気赤道直下の密林に長野県長野市安茂里北村 庄二郎八月十五日はニューギニアの山中で逃げ回っていました。慌ただしく食糧をあさっていて、やっと終わったかと思い、その夜は足を洗って月を見ましたら、急に若わかしく感じました。終戦を遠きに聞きて足洗ふ滋賀県伊香郡高月町 片山 一ホ治(湖秋)ニューギニア島(中部)ウェワク奥地約二十キロ位、ジャングル内に野営し、独立自動車第二十九大隊本部に所属。功績関係事務を担当するとともに、警備従事中、

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