昭和万葉俳句前書集
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~北海道・東北地方~ 当時は、小樽の小学校で応召した教師の補充のため、女学校を卒業後、すぐ助教として三年生を受け持ちましたが、相次ぐ警報に授業もとぎれとぎれの毎日を過ごしておりました。当日は、陛下の初めてのお声に接し、皆涙ながらお聴きしたのが昨日のように思い出されます。 ました。当日正午の重大放送に私達乙女は(二十一歳)予感的中に泣き崩れ小瓶を持ち歩き、いざという時には口にする覚悟でした。隊長として陣地偵察をしていた時に聞いた。東北本線の灼けた鉄路の長々。しさが妙に印象に残っている。係として勤務し、鉄鉱石輸送で深夜二時間ぐらいの休養以外は暇なく、毎日が戦争でした。艦砲射撃の時は、応援の私達も血みどろでした。廃れたる鉱山のふるさと銀河濃し太陽のもと玉音を拝聴。不惜身命と覚悟していたものの、この日を境に。故郷函館へ帰ることのみを思う十八歳の青年に戻っていた。蝉しぐれ戦時の児等に空戻り終戦の玉音山河継ぎゆかん炎天や列に小銃二つ三つ廃れたる鉱山のふるさと銀河濃し、青酸カリの 仙台予備士官学校特甲幹として、宮城県宮崎村の国民学校に仮寓、教育訓練中終戦。真夏の 私は国鉄職員で、岩手県釜石市より十キロ離れた鉄鉱の釜石鉱山のある陸中大橋駅の、貨物 青森県の三本木を頂点として、八戸から小川原湖までの間に一個師団が展開した。敗報は小 当時札幌逓信局に奉職、毎日のようにビルの窓から出征兵士に日の丸の旗を振って見送り

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