夜 濠北方面軍参謀部通信調査隊隊員として、当時セラム島に在りて、時に甘藷作りなどもせり。終戦前夜この島玉砕との情報も入りて、我等死を決意せり。しかるにこの終戦報に接し、血涙とめどなし、往時既に茫々。理事務担当。内地との音信一年以上不通。後方からの補給を絶たれ、飢餓との戦い。島の椰子の実は採り尽くし、藷植えの荒地開墾に汗を流していた。赤痢、マラリアと闘い、餓えと病いと戦闘との毎日、八月十七日終戦を知った。部下をどうして全員無事に国に還せるかに腐心した。ても陸に上がったカッパ。揮に手作りのわらぢ履き。穴掘りと、椰子の木の伐り出しと、農耕と、原始人に近い暮らしでありました。北部軍特殊情報部で米軍の航空暗号解読作業に従事昭和二十年七月中央特殊情報部との解読共同研究のため上京、米軍の本土上陸に備え兵庫県小野市の国際通信株式会社小野受信所に移動、八月十五日午前東京の部長閣下より「現職を続行し得ざる状態にたち到れり」の電文を受け、正午炎天下に玉音放送を聴く。同高木二郎(青二郎)句~椰子炎えて涙の煮ゆる孤島かな燃やすなる千人針や椰子の風椰子の実でやく荼毘けむる夏の果藷喰らひ兵の意地すでになし万感の鳴咽西瓜と噛み砕く ~発行者 その当日、私は一海軍下士官として印度洋上カール・ニコバル島に在りました。海軍といっ 印度洋上南アンダマン島守備。英仏連合艦隊の攻撃を躱しつつ、栄養失調、脚気、アメーバ 濠北南方最前線カイ諸島カイ島守備。鯉部隊衛生隊本部勤務衛生兵長。銀行員の職歴あり経
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