教育隊の陸軍主計中尉として勤務。部隊は特攻隊編制となり、隊機は全部フィリピン作戦に出動して未だ帰らず。戦況悪化に伴い山籠りの準備しあり。八月十五日には終戦を知らされず。部隊が知らされたるは十八日のことなり。十五日には毎日定期便の如く来襲して爆撃して行った英軍機が、その日は旋回するのみで、帰って行ったのを不思議に思った。を迎えようとは、灼熱の空を血に染めて幾千の将兵が散華した激戦の「ビルマ(ミャンマー)」から、仏印プノンペン飛行場への転進を余儀なくされ、同地で終戦となる。元陸軍航空兵。事していたが、大本営発表と現地人の噂には大変な違いがあり、真相を知らず憂慮していたが、現地人の噂が正しく、終戦の報に愕然とした。やかなトンボ飛行機からの通信筒が終戦を知らせてくれた。それまでの間、山中では乏しい食糧を食い継ぐのが精一杯。湯呑茶碗一杯の米に雑草の若葉を混ぜて、日没を待ち、集めた枯木でお粥にし、翌日の三食に充てる日が続いた。芋二個を手渡した。将に餞別であった。その後彼の行動も怪しくなり斃れた体には蟻が集まっていたという。残酷な地獄絵である。生還一割。終戦を知らず帰らぬ友機待つ幾千の魂塊真白灼くる空終戦の報に虚脱のゴム林灼熱下マラリヤの友に経を読む終戦日戦友に芋二個飢えて果つ 比島ミンダナオ島ウマヤン渓谷。降伏知る由もなし。哀れな姿で訪ねて来た戦友に、秘蔵の フィリピン・ルソン島山中。何日も続いた砲撃がピタッと止んで半月も過ぎた頃、日の丸鮮 一兵士として、仏印(現、ベトナム)に在りて、連合国軍の上陸に備え、陣地の構築等に従 空の先駆けたらむと、共に誓い励まし合った仲間違が幽明を異にして、今日この日(終戦)
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