昭和万葉俳句前書集
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体制にあった。終戦当日は炎暑。長い一日であった。手の私は指揮班詰所に呼ばれ、終戦を知らされると、起床時には歩ける者全員を所定の場所に集合させよ、との指令を受けた。その朝、沖縄宮古島の空はくまなく晴れ渡り、透き通った紺青の海が果てしなく広がっていつになく美しく光っていた。その海が見える小高い広場に勢揃いしたのは、島に来て一年、基地づくりに従事する第四港湾設定隊の面々である。日頃、マラリア、栄養失調などで寝ていた者も今朝ばかりは噂を知ってか、気分も良いのか、生気を取り戻したかのように顔面を輝かせ、杖をつき、また、戦友の肩を借りてよろめきながらも参加したのであった。色褪せた夏服は裂けて破れ、半袖、半ズボンから露呈する手足には、熱帯潰瘍で崩れた傷口を抑えた紙片が無造作に貼ってある。薬不足で治らず、血膿を抑え、蠅除けのためにこの始末だが、当時では珍しくもない情景だった、やがて開会、喇叭による君が代吹奏、部隊長告辞、隊歌合唱、閉会、解散、照り付ける暑い陽射しに汗が滲むひと時であった。 朝鮮済州島に兵姑病院衛生伍長報道班長として勤務。当日玉音重大発表あることから急遽、軍通信所に詰めた。正午を期しての詔勅放送は雑音が入り聴取不能の時もあったが、終戦宣言を解し得、これを部隊へ命令として伝えたのである。暑い日だった。一時、山中にこもり米をとぎ、夜が明けてよく見ると、孑孒(ぼうふら)が遊んでいた水だった、など思い出がつきない。飛機もなし撃つ弾丸つきて壕暑し勲章は之よ傷口の蠅に見す雑音の阻む玉音終戦日一天に雲一つなし終戦日 旧軍人として、奉天の兵舎の中で終戦を迎える。記憶も随分薄れてしまったが、ただ朝から ~国外編~ その日、八月十五日の状況を私の日記により若千御紹介いたします。八月十五日未明、喇叭

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