勤務中でした。当日は、空襲警報放送要員としての教育を終え、正午からのあの雑音まじりの玉音放送を局長以下全員で聴きました。混乱と虚脱のあの痛烈な衝撃は今も生々しく刻まれています。中村)の山間部において、砲車等を格納する横穴土壕づくりの作業をしていた。重大放送も受信機が悪く、陛下のお言葉を聴き取れなかった。 満州国黒河省山神府第七二一七部隊第二機関銃中隊に入営(昭和十九年十月)、二十年三月博多港に上陸、福岡市邦珂小学校を基点に駐屯す。我が中隊は市郊外の人造湖湖畔に幕舎を張り、本土決戦に備え、銃座構築作業に従事す。下士官候補生教育を受く。音もとぎれ勝ち。海軍設営隊八百名の特攻基地づくりの兵一同襟を正して整然と拝聴。米軍上陸の噂たちまち広がり。村民蚊帳と鍋釜をもって山へ逃げる。海軍五百二十九設営隊主計長海軍主計少尉。放たれて海に吠えたる終戦日夏雲よ散華の友よ国敗る国のため造る土壕や山清水貯水湖に無力の裸寄せ合えり山間の蚊帳のテントに炊く煙り 昭和二十年八月十五日、猛暑快晴。九州佐賀県唐津市郊外の有浦村の山に囲まれた農村。玉 ~九州・沖縄地方~ 昭和二十年六月、弘前野砲独立部隊に二等兵として入営、八月十五日には高知県中村(土佐 昭和二十年八月十五日は、愛媛県松山市に在住しており、NHK松山中央放送局、放送部に
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