マルホレポート2022
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    医薬品事業を通じた社会への貢献    海外の優れた医薬品を日本に取り入れ生命(いのち)の源である健康に奉仕人々の日常生活の質の向上に貢献02マルホの歴史は、創業者である木場栄熊が、1915年、大阪に医薬品製造と卸を兼ねる「マルホ商店」を創業したことに始まります。木場は、「薬で社会に貢献したい」という想いのもと、1901年に単身渡米。アメリカの先進的な製薬の知識を得て、帰国後も自ら世界の薬剤情報を提供する医師のパートナーとして従事するなど、経営者でもあると同時に、日本の医薬情報担当者(MR)、ひいては日本の医薬品業界の道を切り拓いた人物でもあります。木場は、より安定した供給網を構築するため、医薬品の国内生産にもこだわりました。1931年に国産化に成功した蚊よけクリーム「モスキトン」は、小説家・谷崎潤一郎の「細雪」に登場するなど、マルホの薬は、人々の生活に深く溶け込んでいました。1939年には「株式会社マルホ商店」と屋号を変更しましたが、太平洋戦争中、医薬品業界における企業整備によりいったん解散し、戦後に二度目の創業を迎えました。創業当初は、海外の製薬企業と提携し、優れた医薬品を日本に届けることで、人々の日常生活を支えてきました。「マルホ」という社名も、代理店契約を結んだアメリカの製薬会社 H. K. Mulford Co.(現 Merck & Co., Inc.)に由来しています。1950年に入社し、木場からマルホの経営を託された高木二郎は、大戦の経験から「生命(いのち)」の価値を真摯に考えるとともに、企業の公共性を追求し、戦後の困難に満ちた時代を切り抜け、今もマルホに根付く「信念」を遺しました。1971年に示された社是「真実の追求」は、あるがままの現在の姿を知り、あるべき将来の姿を求める哲学心であり、「みんなと共によりよく生きること」を最終目標とする社会全般を支える基本的精神でもありました。H. K. Mulford Co.木場栄熊「モスキトン」当時の広告高木二郎-History-マルホグループのあゆみあなたといういのちに、もっと笑顔を。

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